「寺ヶ池公園」 「寺ヶ池公園」
愛犬「むさし」の想いで
公園散歩道   公園広場
公園散歩道   公園広場
家の近くに「寺ヶ池公園」という素晴らしい公園がある。
 私が今の場所に居を構えたのはこの公園があった事が大きな決め手となった。特に春は花がいっぱい咲き誇ってとても綺麗だ。数年前、愛犬「むさし」が家出?をするまでは、「むさし」を連れて毎朝散歩を欠かさなかった。「むさし」が居なくなってからは毎日散歩をする事も少なくなったが、それでも時々家内と二人で散歩を楽しんでいる。(尾崎 秀行)
公園案内板 公園北側から
公園案内板 公園北側から
 愛犬「むさし」は戌年の1月1日生まれのミックス犬だった。「むさし」のお母さんは昔ブームだったハスキー犬で、家の中で大切に飼われていた。所謂、箱入り娘だった筈だが、飼い主が過保護に育てすぎたのだろうか、謀反を犯したかレイプされたか定かではないが、間違い無く他の血が混じってしまった。

 「むさし」という名前は次男の弘幸が生前に付けた名前で『宮本武蔵』に由来するものだ。「むさし」は弘幸が残してくれた形見?のようなものだから、可愛がっていたのに「むさし」には放浪癖があり困った。
 弘幸が亡くなり富田林から最初に越してきたのは清見台という所だったが、そこでも「むさし」は時々家出を繰り返した。「むさし」が家出をする度に必死で探しまくるも見つからず、その時も3ヵ月位放浪の旅に出ていただろうか、ある朝、ご近所の人から『あそこに繋がれているの、おうちの「むさし」君違う?』という知らせを聞き見に行くと、それは間違い無く「むさし」だった。半ば諦めていただけに帰ってきた事がとても嬉しかった。通勤途中の人が、道路脇のフェンスに繋ぎとめてくれたのだ。首輪にビニール紐の噛み千切った部分が残っていたことから、多分何処かで飼われていたのだろう、必死で噛み千切って逃げてきた様子が伺えた。それにしても「むさし」は薄汚れてボロボロで疲労困憊の様子だった。
公園管理事務所   公園眺望
公園管理事務所   公園眺望
 今の家に引越ししてからも「むさし」は時々家出?を繰り返した。正に「むさし」の趣味は『家出』だった。「むさし」も私と一緒で、束縛されるのが大嫌いだったのだろう。今の家から少し坂を登ると公園の入口があり、直ぐに公園のメインストリートがある。噴水や休憩所が並ぶ。左手に公園管理事務所があり、右手には円形の噴水を囲むように石畳の広場がある。奥へ進むと小高い丘があり、そこから葛城山脈が一望できる。この丘の辺りで他の犬が居ない事を確認し、「むさし」をリードから放してヨーイドンで競争をよくした。いくら頑張っても4本足の「むさし」には勝てなかった。
 しばらくリードから開放して「自由」を楽しませ、それから公園の池の周囲を散歩するのが日課だった。
   寺ヶ池は今から355年前の江戸時代(1649年)、上原村の中村氏の提案で小さな池だったのを延べ4万人動員して拡張工事をしたらしい。現在の池の面積は3万坪(10ha)、深さ98尺(29m)、水量60万トン、150丁歩の灌漑面積を誇る。水源は滝畑の日野から山や谷に用水路を施し、なんと3里18丁(14km)の距離を水路で結んだ。特に夜、提灯の灯りで高低差を測量し、昼に掘る作業をしたそうだ。現在のように測量技術や機械が無い時代、本当に大変な作業だっただろう。

先人達に感謝、感謝だ。本当に「ありがとう」ございます。
溜池観測局   愛犬「むさし」
溜池観測局   愛犬「むさし」
 「むさし」と散歩していた頃は全く氣が付かなかったが、寺ヶ池には大阪府の「ため池観測局」が設置されていた。また、以前は真っ白なアヒル(私達はガー子と呼んでいた)がペアで泳いでいて、スーパーのビニール袋(「むさし」の糞を入れる袋)を持って散歩していると、ガー子達が餌を貰えるものと勘違いをして近づいて来た懐かしい思い出がある。夏場は特に水に浮かんで涼しそうに泳いでいるガー子達を見て、「むさし」が羨ましそうに見ていた。あのガー子達は何処へ行ったのか?今日は姿を見る事が出来なかった。

「むさし」の帰りを今も待っている飼い主でした。
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